大阪府 吹田市 片山神社
大阪府吹田市出口町3-3にある片山神社に。
東海道本線(JR京都線)「吹田駅」下車 徒歩10分
阪急千里線「吹田駅」下車 徒歩10分ぐらいのところに鎮座。
車でいくと神社の中に乗り入れて駐車することに。
天正の御代(室町・安土桃山時代 西暦1500年頃)の兵火と
大正3年の2回建造物一切が焼失され、古文書等が存在していなので
建立ならび由緒等については不明である。
昭和59年に『昭和の大造営』として、
老朽化が著しくなった社殿を建て替えて、今日に至る-だとか。
大和時代から平安時代にかけるその昔、この地より千里に至る一帯が
丘陵地になっており、良質の粘土が多量に出土し、
その頃の人達は「須恵器」や「瓦」を作り、生計をたてていた。
この窯焼きは大陸文化によるもので、大和朝廷(4世紀・西暦300年頃)が
誕生の頃から食器類や屋根瓦の需要が高まり、その時代の成長産業であった。
この地で生産される須恵器は、質の良さから生産も相当なものであったらしい
そして平安京(8世紀・西暦800年頃)が遷都された頃には
屋根瓦も需要も最高に達し活気あふれる産業地域であった。
しかし、平安時代が過ぎると、これらの産業も斜陽の一途をたどり
ついには廃窯となり以後、この地は農耕へと移行していった。
この歴史を実証する50基余の《登窯》が発掘されている。
その頃、この地で焼き物に携わる人達が【陶芸の祖神】であり
方除け・災難除け・火防の守護神である
素盞烏尊(すさのおのみこと)を祀り崇敬を集めていたのが
当神社の創始と思われる。そうです。
祭神
(主神)素盞烏尊 スサノオノミコト
(相殿)天照皇大御神 アマテラススメオオミカミ
(相殿)住吉大神 スミヨシノオオミカミ
拝殿と社務所。
手水舎と結び社。祭神、神産巣日神(かみむすひのかみ)。
アサヒビールが奉納。
アサヒビール吹田工場が目の前にあります。
祈願桃というモニュメントが(笑)。
祭神のスサノオノミコトの父親であるイザナギノミコトが
桃の実の精霊によって危難を逃れたことかららしいのですが
桃をなでなでしながら願いをってけっこうかわってるかも。
バチあたりな私は割れ目に指を...。
さすがにつっこみませんでしたが。
ご訪問ありがとうございました。
東海道本線(JR京都線)「吹田駅」下車 徒歩10分
阪急千里線「吹田駅」下車 徒歩10分ぐらいのところに鎮座。
車でいくと神社の中に乗り入れて駐車することに。
天正の御代(室町・安土桃山時代 西暦1500年頃)の兵火と
大正3年の2回建造物一切が焼失され、古文書等が存在していなので
建立ならび由緒等については不明である。
昭和59年に『昭和の大造営』として、
老朽化が著しくなった社殿を建て替えて、今日に至る-だとか。
大和時代から平安時代にかけるその昔、この地より千里に至る一帯が
丘陵地になっており、良質の粘土が多量に出土し、
その頃の人達は「須恵器」や「瓦」を作り、生計をたてていた。
この窯焼きは大陸文化によるもので、大和朝廷(4世紀・西暦300年頃)が
誕生の頃から食器類や屋根瓦の需要が高まり、その時代の成長産業であった。
この地で生産される須恵器は、質の良さから生産も相当なものであったらしい
そして平安京(8世紀・西暦800年頃)が遷都された頃には
屋根瓦も需要も最高に達し活気あふれる産業地域であった。
しかし、平安時代が過ぎると、これらの産業も斜陽の一途をたどり
ついには廃窯となり以後、この地は農耕へと移行していった。
この歴史を実証する50基余の《登窯》が発掘されている。
その頃、この地で焼き物に携わる人達が【陶芸の祖神】であり
方除け・災難除け・火防の守護神である
素盞烏尊(すさのおのみこと)を祀り崇敬を集めていたのが
当神社の創始と思われる。そうです。
祭神
(主神)素盞烏尊 スサノオノミコト
(相殿)天照皇大御神 アマテラススメオオミカミ
(相殿)住吉大神 スミヨシノオオミカミ
拝殿と社務所。
手水舎と結び社。祭神、神産巣日神(かみむすひのかみ)。
アサヒビールが奉納。
アサヒビール吹田工場が目の前にあります。
祈願桃というモニュメントが(笑)。
祭神のスサノオノミコトの父親であるイザナギノミコトが
桃の実の精霊によって危難を逃れたことかららしいのですが
桃をなでなでしながら願いをってけっこうかわってるかも。
バチあたりな私は割れ目に指を...。
さすがにつっこみませんでしたが。
ご訪問ありがとうございました。