上野輪王寺  りんのうじ 両大師

正月に家族でTDLへ。私は御朱印あつめに。
自分のための記録みたいなものなんで
適当にスルーしてくださいね。

外人さんに道を教えられなかった私が
やってくたのは輪王寺(りんのうじ)でした。

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宗派は天台宗。山号は東叡山。本尊は阿弥陀如来。
一般には通称の「両大師」で知られるだとか。
この通称は天海(慈眼大師)と良源(慈恵大師、元三大師)を
祀ることに由来するそうです。

山門右手に「両大師」と書いてある絵馬の形をした立札が
たっています。金色に塗られているので、金札といわれていたとか。
江戸時代は、両大師像が10月を除いて月々順番に子院を廻っていたので
その所在を表わすために、こうした立札が門前に建られたんだそうです。

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慈恵大師は康保3年(966)から19年間にわたり天台宗の座主の職にあった
良源大僧正で、天海僧正が深く信仰していた高僧である。
永観3年(985)正月3日に死去しているので元三大師ともいわれ
生前に疫災を除かれたというので、災厄除けの信仰があり
角つののついた大師像を摺写したお札を授けられている。
また4代将軍の出生にさいして、安産祈願所にもなったことから
子授け大師としても一般の信仰を集めるようになった。
とか。

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もう一人の大師、慈眼大師は寛永寺の開祖天海僧正で
寛永寺発行の「寛永寺略記」により略述させていただくと
寛永寺の開山、東叡(上野)、日光両山の輪王寺の開基
日光、比叡両山の再興者だと述べている。
天海僧正は天文5年(1536)元旦に福島県会津高田に生まれ
寛永20年(1643)10月2日、108歳の高齢で寛永寺において死去
日光山に埋葬されている。翌年、日光、東叡両山に影堂(供養堂)を建てた。
これを開山堂といった。慈恵大師の慈恵堂がその後に開山堂に移され
両大師堂となった
そうです。

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本堂は平成元年9月4日焼失していて、その後再建されたものです。

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幸田露伴の旧宅の門。

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輪王殿。多目的ホールだそうです。

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寛永寺旧本坊表門(国指定重要文化財)。
江戸時代、現在の上野公園には、寛永寺の堂塔伽藍が
整然と配置されていた。現在の噴水池周辺(竹の台)に
本尊薬師如来を奉安する根本中堂、その後方(現、東京国立博物館敷地内)に
本坊があり、「東叡山の山主である」輪王寺宮法親王が居住していた。
寛永寺本坊の規模は、三五〇〇坪(約一・一五ヘクタール)という
壮大なものであったが、慶應四年(一八六八)五月の上野戦争のため
ことごとく焼失し、表門のみ戦火を免れた。
これはその焼け残った表門である。
明治十一年、帝国博物館(現、東京国立博物館)が開館すると
正門として使われ、関東大震災後、現在の本館を改築するのにともない
現在地に移築されたそうです。

DSC02071.jpg

門扉には、上野戦争時の弾痕が残されていていました。

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41枚目ゲットだぜ!


ご訪問ありがとうございました。





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