素盞嗚神社(すさのおじんじゃ) 福山市

去年のことですが広島県福山市で御朱印あつめを。
福山市、なかなか効率よく回れました。
最後にやってきたのは素盞嗚神社です。

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社伝によれば天武天皇の治世であった7世紀ごろ(679年か)に
創建したとされる。その後、遣唐使であった吉備真備が唐から
帰国した後の天平6年 (734年)に備後から素盞嗚命を播磨の
広峯神社に勧請したとされるそうです。

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相方城移築の城門。
戦国時代に城山(じょうやま/標高199m)一帯に築かれていた
山城相方城から、城門2棟と櫓が移築されたとされる。
現存する戦国期の山城の城門としては最古級とされるだそうです。

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『釈日本紀』巻7(卜部兼方、鎌倉時代中期)に引用された
『備後国風土記』逸文(奈良時代か)の「蘇民将来」説話に
「疫隈國社(エノクマノクニツヤシロ)」とあるのがここのことじゃないか
ってことらしいです。

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『延喜式神名帳』には「備後國深津郡一座 須佐能袁能神社」と
記載されているそうです。

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現在は「全国一の宮会」に加盟して、備後国一宮を称してます。

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大鳥居。
石造り。江戸時代中期元禄時代の建立。

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素盞嗚神社の例祭である祇園祭では重さ約500kgの神輿を激しく
ぶつけ合う「けんか神輿」が繰り広げられるそうです。
祇園祭の発祥の地だそうで、神社の碑文には(長いけど)

当神社の例大祭「祇園祭」が、いつ頃始まったものかを示す
古文書は残念ながら現有せず、その始まりの時期は定かでは
ありません。奈良時代の初頭より我が国では疫病の流行や
大地震により数多くの人々が亡くなり「死」に対して
強烈な畏怖心をいだくようになりました。

当時、疫病の流行や自然災害は、この世に恨みを持って
亡くなった人たちの祟りによるものと考えられました。
そこでいつ襲い来るか計り知れぬ災害から逃れ
疫病に罹らぬようにするため、死者の怨霊を鎮めなだめる
儀式「御霊会(ごりょうえ)」が行われるようになりました。
これが後に「祇園信仰=祇園祭」へとつながっていきます。

「祇園信仰」とは、お釈迦様が修業された「祇園精舎」を護る
「牛頭天王(ごずてんのう)」と高天原を追われてのち出雲国で
「やまたのおろち」を退治された「素盞嗚尊(すさのおのみこと)」
を共に祀る信仰です。つまり外国(とつくに)の誠に
恐ろしく力の強い仏様「牛頭大王」と我が国最強の
荒ぶる神様「素盞嗚尊」を一体化しより強力な神格にして
祇園社の主祭神「祇園神」としたのです。

この神の絶大なる霊威を以てすれば、いかなる怨霊の
祟りをも鎮め平穏な世を取り戻すことが出来ると
考えられたのでした。各地に伝わる様々な伝承や
資料からすると祇園信仰発祥の地はここ福山市新市町戸手に
鎮座される「疫隈國社(えのくまのくにつやしろ)」
現在の素盞嗚神社であると考えられます。

疫隈國社より播磨国明石浦(兵庫)-播磨国廣峯神社(姫路)
-北白川東光寺(京都)に至り、祇園感神院(八坂神社)へと
伝搬していったことは明らかです。

ってことだそうです。

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本殿。備後福山藩の初代藩主水野勝成の再建と伝わるそうです。

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主祭神は素盞嗚尊 (すさのをのみこと)。
住所は広島県福山市新市町大字戸手1-1

無題

121枚目。

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御訪問ありがとうございました。




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