新屋坐天照御魂神社 にいやにますあまてるみたまじんじゃ 茨木市

茨木市内の神社をってことで
やってきたのは新屋坐天照御魂神社です。
去年のことですが。

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近くに大阪府立福井高等学校があります。84年創設なんで
私にはあまりなじみが。

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新屋坐天照御魂神社は、第十代崇神天皇の御宇
天照御魂大神が現在の茨木市福井の西の丘山(日降ヶ丘)にご降臨され
同七年九月、物部氏の祖である伊香色雄命を勅使として丘山の榊に
木綿を掛け、しめ縄を引いて奉斎したのが創祀とされ
実に二千百年の歴史を有しており、摂津国屈指の歴史と
社格を誇る神社だそうです。。

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第十四代仲衰天皇の御宇、神功皇后には三韓を征せられるに
当たり新屋の川原にて禊の祓と戦勝祈願をされ、凱旋の後
天照御魂大神の荒魂、幸魂を西の川上と東の川下の辺りに
斎祀らせました。(上河原社・西河原社)ってことです。

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貞観元年(859)には従四位下、天慶三年(940)には正四位上の神位を
授かり更に、延喜年中には延喜式内名神大社として
四時祭・相嘗祭・臨時祭など数々の国家の重要祭事に預かりました。

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また、当社は創建時より朝廷の結びつき殊の外つよく
第二十六代継体天皇の御宇に初めて奉幣使が遣わされて以来
第九十代亀山天皇の御宇まで実に二百十九回の奉幣使が遣わされるなど
神祇官直支配の案上の官幣大社として永く国家平安
五穀豊穣を祈願してきたそうです。

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この間、皇極三年(644)には中臣鎌子連(後の藤原鎌足)が神祇伯に
任じられ、奉幣使として当社に参詣されるなど、平安時代までは朝野の篤い
崇敬がよせられ、社頭は大いなる隆盛を誇りましたが鎌倉時代に至り
嶋下郡の総社と定められるも武家による諸規則の制定・強化、神領没収など
社頭の衰微が始まり、室町時代末期の大永七年二月(1527)
細川家の内紛(大永の乱)により兵火に遭うところとなりご神殿
神宝、神器悉く灰燼に帰しました。

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そして、天正十二年(1584)、中川清秀公が社殿を再建し
現在の基礎が構築されました。清秀公は当社の氏子中河原の人であり
後その功によって、茨木城主になったと言われています。

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その後、明治五年郷社に列せられ、御本殿の外、摂社として出雲社
須賀社の二社と六社神社などの末社が境内に祀られています。
祭神は天照皇御魂大神 (あまてらすすめみたまのおおかみ、天照大神)
天照国照天彦火明大神 (あまてるくにてるあめのひこほあかりのおおかみ)

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住所は大阪府茨木市西福井三丁目36-1

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103枚目。
熊本、ライフラインが早く復旧しますように。

ご訪問ありがとうございました。








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