素盞嗚神社(すさのおじんじゃ) 福山市

去年のことですが広島県福山市で御朱印あつめを。
福山市、なかなか効率よく回れました。
最後にやってきたのは素盞嗚神社です。

DSC09487.jpg

社伝によれば天武天皇の治世であった7世紀ごろ(679年か)に
創建したとされる。その後、遣唐使であった吉備真備が唐から
帰国した後の天平6年 (734年)に備後から素盞嗚命を播磨の
広峯神社に勧請したとされるそうです。

DSC09485.jpg

相方城移築の城門。
戦国時代に城山(じょうやま/標高199m)一帯に築かれていた
山城相方城から、城門2棟と櫓が移築されたとされる。
現存する戦国期の山城の城門としては最古級とされるだそうです。

DSC09464.jpg

『釈日本紀』巻7(卜部兼方、鎌倉時代中期)に引用された
『備後国風土記』逸文(奈良時代か)の「蘇民将来」説話に
「疫隈國社(エノクマノクニツヤシロ)」とあるのがここのことじゃないか
ってことらしいです。

DSC09466.jpg

『延喜式神名帳』には「備後國深津郡一座 須佐能袁能神社」と
記載されているそうです。

DSC09486.jpg

現在は「全国一の宮会」に加盟して、備後国一宮を称してます。

DSC09471.jpg

大鳥居。
石造り。江戸時代中期元禄時代の建立。

DSC09461.jpg

素盞嗚神社の例祭である祇園祭では重さ約500kgの神輿を激しく
ぶつけ合う「けんか神輿」が繰り広げられるそうです。
祇園祭の発祥の地だそうで、神社の碑文には(長いけど)

当神社の例大祭「祇園祭」が、いつ頃始まったものかを示す
古文書は残念ながら現有せず、その始まりの時期は定かでは
ありません。奈良時代の初頭より我が国では疫病の流行や
大地震により数多くの人々が亡くなり「死」に対して
強烈な畏怖心をいだくようになりました。

当時、疫病の流行や自然災害は、この世に恨みを持って
亡くなった人たちの祟りによるものと考えられました。
そこでいつ襲い来るか計り知れぬ災害から逃れ
疫病に罹らぬようにするため、死者の怨霊を鎮めなだめる
儀式「御霊会(ごりょうえ)」が行われるようになりました。
これが後に「祇園信仰=祇園祭」へとつながっていきます。

「祇園信仰」とは、お釈迦様が修業された「祇園精舎」を護る
「牛頭天王(ごずてんのう)」と高天原を追われてのち出雲国で
「やまたのおろち」を退治された「素盞嗚尊(すさのおのみこと)」
を共に祀る信仰です。つまり外国(とつくに)の誠に
恐ろしく力の強い仏様「牛頭大王」と我が国最強の
荒ぶる神様「素盞嗚尊」を一体化しより強力な神格にして
祇園社の主祭神「祇園神」としたのです。

この神の絶大なる霊威を以てすれば、いかなる怨霊の
祟りをも鎮め平穏な世を取り戻すことが出来ると
考えられたのでした。各地に伝わる様々な伝承や
資料からすると祇園信仰発祥の地はここ福山市新市町戸手に
鎮座される「疫隈國社(えのくまのくにつやしろ)」
現在の素盞嗚神社であると考えられます。

疫隈國社より播磨国明石浦(兵庫)-播磨国廣峯神社(姫路)
-北白川東光寺(京都)に至り、祇園感神院(八坂神社)へと
伝搬していったことは明らかです。

ってことだそうです。

DSC09458.jpg

本殿。備後福山藩の初代藩主水野勝成の再建と伝わるそうです。

DSC09460.jpg

主祭神は素盞嗚尊 (すさのをのみこと)。
住所は広島県福山市新市町大字戸手1-1

無題

121枚目。

DSC06661.jpg

御訪問ありがとうございました。




備後一宮 吉備津神社(きびつじんじゃ) 広島県福山市

去年の話ですが広島県福山市の神社めぐりを。
一日で6枚ゲットだぜ!みたいなね。

DSC09384.jpg

夕方近くになったので急いで7枚目ゲットに。
やってきたのは備後国一宮の吉備津神社です。

DSC09388.jpg

吉備国が三国に分離された後の806年(大同元年)
吉備国一宮であった吉備津神社より勧請して創建されたと
伝えられるんだとか。

DSC09397_201607302052539f7.jpg

905年から967年にかけて編纂された『延喜式神名帳』に
記載がないことから、実際の創建はもっと後であるとする説が
あるそうです。

DSC09389.jpgDSC09390.jpg

社伝によると、10月の神無月には全国の神が出雲に集まるが
ここの大吉備津彦命のみが欠席した。そこで出雲から2人の使者が
吉備津神社へ派遣されたが、2人は歓待を受けそのまま吉備津神社の親衛の
門守として仕えることとなったそうです。

DSC09404.jpg

一宮なので摂末社がいろいろと。

DSC09406.jpg

境内背後の桜山一帯は後醍醐天皇の倒幕計画に呼応して
桜山茲俊が挙兵した地とされるそうです。

DSC09413.jpg

本殿は江戸時代の慶安元年(1648年)、水野勝成による造営。
桁行七間、梁間四間の入母屋造檜皮葺。国の重要文化財。

DSC09445.jpgDSC09447.jpg

奉納されたものが飾ってありました。
柳生心眼流柔術の門人とかってかんじで
門人の名前が。明治40年とありました。もうひとつは
亀の甲羅だと思うのですが明治34年と書いてありました。

static_20160731152957d6a.png

主祭神は吉備津彦命(きびつひこのみこと)。
住所は広島県福山市新市町宮内400 。

120枚目。

DSC05505xxxxxxxxxx.jpg

ご訪問ありがとうございました。



草戸稲荷神社 福山市

去年のことですが広島県福山市の寺社めぐりを。
で、やってきたのは草戸稲荷神社です。

DSC09344.jpg

芦田川の川沿いに草戸稲荷神社があります。

DSC09345.jpg

この神社は京都伏見稲荷の系列の中における日本稲荷5社の中の
一つだとかで、初詣には30万人とも50万人とも言われる人出で
賑わいます。福山市では一番人気みたいです。
なんかすごい参拝の列ができるみたいです。

DSC09346.jpg

太鼓橋からみる朱色の社殿は、後ろの山の緑の中に一段と生え
神社と言う厳かな雰囲気を味わう事が出来ます。

DSC09348.jpg

後ろの山は山岳公園になってるみたいです。

DSC09357.jpg

本殿は拝殿の裏にあって目立たないものであったが、昭和時代末期に
コンクリート構造物が構築され、その上に移設されたそうです。

DSC09362.jpg

本殿上から福山市中心部を一望することができます。

DSC09360.jpg

天気はいまいちでしたが。

DSC09365.jpg

祭神は保食神、宇加之魂神、大己貴神の三神。
境内には二十社近い稲荷神社と八幡神社が末社として
祀られてるんだとか。

DSC09366.jpg

平安時代の807年(大同2年)に明王院を開基したとされる
空海上人が同寺の鎮守として祀ったのが最初とされるそうです。

DSC09368.jpg

ほんと特徴ありますよね。

647qqqqqqq

住所は広島県福山市草戸町1467番地 。

DSC05057.jpg

119枚目。

ご訪問ありがとうございました。




明王院 みょうおういん 中国三十三観音霊場第八番札所

広島県福山市内の御朱印あつめを。
去年のことですが。

DSC09315.jpg

やってきたのは明王院(みょうおういん)。
たまたまみつけたので来ちゃいましたみたいなね。
真言宗大覚寺派の仏教寺院で本堂と五重塔は国宝。

DSC09319.jpg

中国三十三観音霊場第八番札所、山陽花の寺二十四か寺第十八番札所。
ついでによったらけっこう由緒があるお寺でした。(^∇^)

DSC09320.jpg

寺伝によると、明王院の前身である「常福寺」は807年(大同2年)に
空海(弘法大師)によって創建されたそうです。

DSC09321.jpg

この由来の根拠は江戸時代に作成された棟札によるものであるが
ほぼ同時期に作成された棟札がもう1枚あり、こちらには大同年中に
「初住持沙門」と呼ばれる僧侶によって創建されと記されているんだとか。

DSC09339.jpg

本尊十一面観音像は平安時代前期にさかのぼる作品であり
寺の草創もその頃にさかのぼるものと推定されるみたいです。

DSC09323.jpg

国宝。明王院五重塔。
南北朝時代の貞和4年(1348年)に建立された純和様の
五重塔。初層内部の四天柱(仏塔の初層内部に立つ4本の
柱をさす)板壁などには極彩色の仏画や文様が描かれている。
初層の来迎壁(仏壇背後の壁)の「兜率天曼荼羅図」は江戸時代に
寺外に流出し現在は東京国立博物館の所蔵となっている。
相輪の刻銘には、この塔が当時の繁栄した草戸千軒の経済力を
背景にささやかな民衆の浄財を募って建立されたことが
明記されているそうです。

DSC09328.jpg

国宝。明王院本堂。
入母屋造、本瓦葺き。桁行(間口)、梁間(奥行)とも
5間(「間」は長さの単位ではなく柱間の数を表す)。
内陣蟇股の墨書から鎌倉時代の元応3年(1321年)の建立と
判明する。和様建築に鎌倉時代以降の新様式である
大仏様(だいぶつよう)、禅宗様を加味した折衷様建築の
代表例とされている。

DSC09325.jpg

内部の外陣に見られる輪垂木(わだるき)を用いたアーチ型の
天井は近世の黄檗宗寺院の建築には見られるものだが
中世には他に例がない。外面の桟唐戸、断面が円形に
近い虹梁(こうりょう、堂内の柱間に架けた水平材)などは
大仏様の要素であり、粽(ちまき、柱の上部をすぼめること)
台輪(柱上の板状の水平材)、渦巻文様の木鼻
(貫などの水平材の端部の装飾彫刻)などは禅宗様である。
虹梁を柱頂より一段高く持ち上げるために
斗(ます)や絵様肘木を複雑に組み合わせた架構を見せるが
これも他に類例のないものであるんだとか。

64ッッッッッッッッッッッz

住所は広島県福山市草戸町1473

DSC05056.jpg
118枚目。

ご訪問ありがとうございました。




備後護国神社 福山市

去年の話です。広島の福山市の御朱印めぐりを。
やってきたのは備後護国神社。

DSC09283.jpg

明治元年、福山藩主・阿部正桓が、石見益田の役と
箱館戦争での戦死者の霊を祀るために
旧深津郡吉津村に招魂社を創立したのに始まるそうです。

DSC09285_201606181449444fc.jpg

明治26年に福山公園(現在の福山城)の本丸人質櫓跡に遷座し
明治34年に官祭福山招魂社に改称。

DSC09286.jpg

昭和14年(1939年)に内務大臣の指定を受けて
福山護國神社と改称。

DSC09289.jpg

社殿を阿部神社の本殿を改装したうえで合祀することが決定し
昭和31年(1956年)に復興し、それに合わせて福山藩主の
阿部氏が建立した阿部神社は境内社として残っています。

DSC09298.jpg

現在の「護国の英霊」以外の祭神は、このとき合祀されたものである。
翌昭和32年(1957年)に備後護国神社に改称したそうです。

DSC09295.jpg

阿部神社の時代には参道は南側にあったが
焼失した備後護国神社を移す際に参道石段を西側に移すとともに
拝殿神門が建立されている。そのため、西側から参拝するのが
正式であるが、はじめの写真のように南側からも参拝するのは可能です。

DSC09296.jpgDSC09297.jpg
DSC09290_20160618144948c30.jpgDSC09291.jpg

この神社の境内には宮本武蔵が座ったとされる「腰掛石」が
安置されています。武蔵は巌流島の決闘ののち
大坂の役(慶長19年(1614年) - 元和元年(1615年)において
俗説では豊臣方として参戦したとされているが
文献では徳川方である水野勝成の陣において嫡子の
水野勝重付として名前が記されているそうです。

ja04s1800.jpg

腰掛石で伝承によれば寛永年間(1624年~1629年)に
武蔵が福山を訪問したとき勝成の従兄弟で水野家二番家老である
中山将監の屋敷で饗宴が催され庭園で腰を掛けた石だとか。
そして水野家断絶後に入封した阿部氏の時代にも家老下宮三郎右衛門の
屋敷に引き続きあったが、福山藩廃藩に際して当時の阿部神社に
奉納されたといわれてるんだとか。
よくある伝承話なんですけどね。

DSC09293.jpg

福山藩7代藩主、阿部 正弘(あべ まさひろ)。
ペリーの再来により、日米和親条約を締結したときの老中。

117枚目。

DSC03201.jpg

住所は広島県福山市丸之内1-9-1。

map-pczzzzzzzzz.png

ご訪問ありがとうございました。








プロフィール

探偵モンク

Author:探偵モンク
個人的な日々の出来事を気ままに
記録してます。
写真は娘が幼稚園時代に工作した
パパです。

最新記事

最新コメント

カレンダー

02 | 2017/03 | 03
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

カウンター

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク